はじめまして!
洋服が大好き!!最近はジャケットを探しによく東京に行っているライタ〜のからす🐦⬛です。
ライブや音楽フェスに行くのがすごく好きで、現地ではついついグッズを買い過ぎてしまい、毎度翌月のクレカの支払いに追われています。
これから話す出来事は高校3年の春、私が当時やっていた陸上競技部で、冬季練習後の年明け最初の大会に挑む前のお話です。
辛い冬季練習を乗り切り当時の私が勉学、自分の時間以外を全て陸上競技に捧げ、大会に臨むはずだった高3の1月に悲劇は起こりました。
簡単に私の話をしていきます。
サッカーに没頭していた9年間!
私は、高校生から陸上競技を始めましたが、元々は、小学校から中学まで9年間サッカーをやっていたサッカー少年でした。なぜ、高校から陸上に切り替えたかというと、足の速さには誰にも負けない自信があったからです。
当時はMF(ミッドフィルダー)をやっていました。サッカーの中では試合の中で一番走ると言われるポジションとされていますが、そこをずっとやっていたので当時はとても足の速さに自信がありました。でも、私には苦手としていることがあり、それは責任感を感じてしまう事です。なので、私はあまりチームプレーが得意ではなく、苦手意識があったのかもしれません。
陸上競技に熱中していた時に起きた悲劇!
高校からは個人競技で自分しか責任を感じない陸上競技にシフトチェンジしました。
高校から始めた陸上競技、その集大成を大会で発揮するべく備えていた3年生の春、私は交通事故にあってしまいました。
努力が水の泡になるとはこの事なのかと実感できる程、今まで積み上げてきた努力が全て水の泡になった瞬間を事故にあった直後に感じました。自転車と車の衝突事故で、事故に遭う直前、走馬灯のようなものが見え、世界の動きがスローモーションになったのです。
こんな出来事を体験できたのは、初めてだったので思い返せばいい経験だったなと思いますが、当時はその出来事に酷く悩まされました。
事故にあった数時間後、骨折等はしていなかったので、応急処置をし、私はお風呂に入りました。冬季練習に向けて、体のコンディションやケアを徹底していたのにも関わらず起きてしまった不慮の事故。お風呂の中で考えるだけでも頭が痛く、信じられない現状に涙が止まりませんでした。
リハビリを頑張ったもの結果が伴わなかった…!
そこからリハビリを続け、走れるようになったものの以前のような高調子ではありませんでした。
ですが、走り続けなければ結果は変わらないし、何より今の自分のタイムを知りたいと思い、大会に出ることを決意。
迎えた大会当日、今までにない程の緊張感に襲われ、鳥肌が止まりませんでした。
大会に向けて短い期間でリハビリとケアをし、コンディションを最短で良い状態に持っていって迎えたレースでしたが、結果は惨敗で陸上を始めた時のタイムより遅いことがわかりました。もうその時には泣き崩れそうになるほどショックで堪りませんでした。
ベストを尽くして良い気持ちで終われるレースと思って挑んだ大会。結果は惨敗でスタートラインに立った瞬間の高揚感が、ゴールを過ぎた瞬間に一変しました。大会が終わった後、お風呂の湯船に浸かりながら、涙がこぼれてしまったのは今でもいい思い出です。
思い返せば、毎日の練習は決して楽なものではありませんでした。
早朝のジョギング、厳しいトレーニング、そして大会に向けた期待とプレッシャー。特にその時の大会には、今までの集大成というもあり、特別な想いを抱いていました。
周囲の期待も大きく、私自身もその期待に応えたかった。だが、結果は全く異なり思い通りの結果にはならなかった。湯船の中で目を閉じると、レースの映像が頭をよぎってしまいます。
私が走る姿、応援してくれた人たちの顔、そしてその瞬間に感じた悔しさ。泣く理由は分かっていたけれど、心が晴れることはありませんでした。
お風呂の温かさが心を少し癒してくれるが、心の中のもやもやは消えません。
「次は絶対に勝ちたい」と強く思う一方で、「こんな自分じゃダメだ」と自己嫌悪に堕ちてしまいます。未来のことを考える余裕もなく、その時はただ涙を流してしまいました。
どんなに努力しても、結果が伴わないこともあります。
それでも立ち上がらなければならないと自分に言い聞かせ、当時は前を向きました。
あたたかいお湯に包まれながら、次の一歩を踏み出す決意を固めたのが高校三年生のお風呂での思い出です。
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