おふろ×アイデア

お風呂の旅に古代ローマへ

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2024-08-21

お風呂でつながる古代ローマと日本

今から2000年ほど前の古代ローマ。
そこには我々日本人と同じくらいお風呂が好きな人たちがいました。
なぜ彼らはそれほどまでにお風呂を愛していたのか。
彼らが愛したお風呂は一体どんなものだったのか。
今回は古代ローマのお風呂について神戸市立博物館で開催中の「テルマエ展 お風呂でつながる古代ローマと日本」に行ってきた感想を交えながら、紹介していきたいと思います。

テルマエって?

皆さんは「テルマエ」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
そうです。「テルマエ・ロマエ」という映画で有名なあの「テルマエ」です。
「テルマエ」は古代ローマの公衆浴場を指す言葉で、多くの古代ローマ人が足繁く通っていた場所です。
ちなみにこの「テルマエ」という言葉の語源って何だと思いますか?
実はギリシャ語の「テルモス(熱い)」が由来になっているそうなんです(1)
「お風呂=熱い」
そのまんまですね笑。古代ローマ人は熱いお風呂を好んでいたのかもしれません。
ちなみに私は42℃ぐらいのお風呂が好きです。

少し話がずれました。テルマエに戻ります。
4世紀に記された2種類の「ローマ市総覧」によると、当時のローマ市内には大規模な公共浴場は11軒、小規模なものはなんと約900軒もあったそうです(1)

しかも公共浴場の入浴料は無料もしくは4分の1アス(1アスでワイン1Lを購入できたそうなのでワイン250ml分の値段)で入れたそうなんです(1)
4分の1アスは当時の価値でいくらぐらいだったのでしょうか。

以上9日間の合計は225アスで、一日平均で25アスです。

出典:ローマ人の買い物-コインの散歩道

上記のとおり、ポンペイ市民の家計簿から算出した当時のローマ人の1日の食費が平均25アスなので相当な安さで公衆浴場に入れていたことがうかがえますね。

とにかくテルマエはどこにでもあって誰でも入れる場所で、古代ローマ人にとって欠かせない場所だったのでしょう。
いやぁローマ人のお風呂愛、恐るべしですね。

テルマエと日本のお風呂の意外な共通点

お風呂と聞くと浴槽にたっぷりと入れられたお湯につかることを思い浮かべるかもしれませんが、最初につくられたテルマエはそのスタイルではなかったようです。
はじめはお湯につかるタイプではなく、蒸気を浴びる「サウナ風呂(ラコニクム)」で、最初のテルマエが建設された数年後に熱いお湯をたくさん使用するテルマエに改築されたようです(1)
なんだか意外ですね。
ちなみに日本のお風呂の語源は蒸し風呂を指す「ムロ」からきているそうです。
古代ローマも日本もはじめはお湯につからないスタイルだったなんて驚きですね。

「テルマエ」を支えていたのは

先ほどローマ市内には約900軒の公共浴場があったとお話ししましたが、それほどの公共浴場を運営するためにはたくさんの水や燃料が必要ですし、それを供給する技術が必要です。
古代ローマではどのようにして大規模なテルマエを運営していたのでしょうか。
古代ローマではテルマエの運営に多くの奴隷が使われていたようです(1)
当時の古代ローマは現在のヨーロッパのほとんどを支配しており、植民市もたくさん持っていました。
奴隷の数も多くとても繁栄していたのですが、中世にかけて勢力が弱まっていくとともに、古代ローマの風呂文化も消えていったようです(1)
もし、中世以降も古代ローマの風呂文化が残っていれば、日本以上のお風呂大国になっていたかもしれませんね。

また、テルマエを支えたのは奴隷だけではありません。
古代ローマの技術力も相当なものでした。

水道のバルブ

上の写真はポンペイで出土した青銅でつくられた水道のバルブです。
なんと1世紀につくられたものだそうです。
今から2000年も前にこんな精巧なものがつくられていたなんてびっくりです。
「テルマエ展」ではほかにも薬箱やカミソリ、外科器具入れといった青銅で作られたものや装飾の入ったお椀や鉢、手のひらサイズの瓶なんかも展示されていました!
どれも2000年前に作られたものとは思えないほど素晴らしいもので、思わず見入ってしまいました。
古代ローマの技術力は侮れませんね。

テルマエの意外な一面

カラカラ浴場模型
カラカラ浴場平面図

上の写真2枚はアッピア街道沿いに216年に建設された有名なカラカラ浴場の模型と平面図の写真です。
よく見ると、テルマエには様々な浴室のほかに、運動場や広間、図書館が併設されているのがわかると思います。
テルマエでは食事や音楽を楽しむ人や文化サロンのような側面もあったようです(1)
いわばテルマエはお風呂に加え様々な娯楽が集まる複合娯楽施設としての側面を持っていたのです。
古代ローマにジムのような施設があったなんて信じられますか?
今から2000年も前ですよ?
古代ローマ人には頭が上がりませんね。

また、テルマエは社交の場であると同時に社会階層の垣根を越えて裸で接することが可能な場所でした(1)
いわゆる裸の付き合いというやつですね。
さぞ熱い会話が交わされたことでしょう。テルマエだけに、、、笑。

おわりに

いかがだったでしょうか。
古代ローマ人のテルマエ愛が伝わったのではないでしょうか。
今回は古代ローマの公共浴場「テルマエ」について、古代ローマの技術力にも触れながら紹介してきました。
「テルマエ展 お風呂でつながる古代ローマと日本」では今回紹介した展示以外にもテルマエに飾られていた美術品や日本の入浴文化に関するものが展示されていました。
「テルマエ展 お風呂でつながる古代ローマと日本」は2024年8月25日まで神戸市立博物館で開催しているので、今回の記事を読んで興味を持った方や時間のある方はぜひ足を運んでみてください!

参考文献

(1)青柳正規、芳賀京子 (2023). テルマエ展 お風呂でつながる古代ローマと日本 公式図録. 青幻舎.

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yasu

神戸市出身です。 普段はお風呂につからずシャワーで済ませることが多いです。 私のようなシャワー派の人がお風呂に入りたくなるような記事を書いていきたいと思います。

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