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共通の話題

2019-07-01

僕が務めている会社は、全国に支社を持つとても大きな会社だ。

社員の数もかなり多い。

社長がやり手で、彼一人の力でここまで会社が大きくなったと言っても過言ではないそうだ。

僕のような平社員では、会うことさえも難しい人である。

しかし、うちの会社には変わった制度がある。

 

なんと数年に一度、全ての社員が社長と面会する時間が設けられているのだ。

それも一対一で、である。

そして今日は、僕が社長と初めて面会できる大事な日である。

ここで社長に覚えてもらえるかどうかで、僕の未来は大きく変わるかもしれない。

先輩からは、共通の趣味や話題があると、一気に距離が縮まるという話を聞いていた。

しかし、こんな末端の僕が、社長の趣味など知りようもないし、共通の話題などおそらく持っていないだろう。

そもそも、ゆっくり雑談をする時間など与えられているのだろうか?

 

何か一つでも、共通の話題があればいいのだが……。

 

「失礼します。田辺です。よろしくお願いします」

僕が社長室に入ると、社長は座り心地の良さそうな、大きな椅子に座っていた。

何か雑誌を読んでいるようだった。

五十代の社長は、その歳にふさわしい余裕のある佇まいで、見た目にも社長らしいオーラがある。

ただ髪の毛だけは、どんなに偉くてもその後退を食い止めることはできなかったらしい。

陰ではハゲ社長とも言われている。

 

「田辺くんか。よし、そこに座ってくれ」

社長は読んでいた雑誌を開いたまま机の上に置いて、僕に言った。

「失礼します」

僕はそう言いながら椅子に座った。

チラリと開かれた雑誌を見ると、なんとそこには、温泉の写真が載せられていた。

「あ、社長もしかして……お好きなんですか?」

「ん? ああ、これか。そうだな。実はここだけの話、かなりマニアなんだよ」

これはチャンスだと思った。

僕は温泉が大好きなのだ。

 

共通の話題を、幸運にも見つけてしまった。

 

「そこ、僕も行ったことがあります。僕も大好きなんですよ。一人で行くこともあるくらいです」

「一人で? 同じだな。俺も一人で行くことがあるほどだ」

社長は嬉しそうな目をしていた。

これは、かなり距離が縮まっているようだ。もっとこの話題を続けなければいけない。

「友人と行くのもいいですが、一人で行くのもまた違う楽しみがありますよね」

「そうだな。と言うのもな、うちの家内が苦手なんだよ」

「……それは珍しいですね。でも、たまに苦手な方もいらっしゃいますよね」

 

なるほど。

風呂や温泉がそれほど好きではないと言う人はたまにいる。

面倒だと言う人や、お湯に浸かっている間、何をしていいのかわからないなど、理由は様々だ。

「いや、それでもな、一人で行くと、意外に新しい出会いがあるものだ。仕事の上では接点のない人と出会えたりな」

「そうですよね。僕も一人で行くと、知らない人に話しかけられて、最終的に名刺を交換するような仲になったこともあります」

 

そうなのだ。

この前、車で遠出して一人で行った時は、同じく一人で来ていたおじさんと出会った。

どうやら彼も温泉巡りが趣味らしい。

話を聞くと、その人は全く違う業種のお偉いさんだった。

温泉は普段触れ合うことのない職種の人と出会い、話せる場にもなる。

「わかっているな。年齢を問わず、出会いがある素晴らしい場所だ」

社長は頷いている。

「ちなみに君は、どの時間帯に行くのかね?」

社長が質問をしてきた。少し試すような表情をしている。なんと答えるのが正解だろうか? ここは正直に……。

「僕はやはり……朝に行きますね。朝が、一番いいです」

「同じだな。俺も朝に行く。早朝から開けてくれている場所を、いくつか覚えているんだ」

どうやら正解だったらしい。

「では、いれ方はどうかね?」

「入れ方? ですか? ……難しいですね」

これは、かなり上級者の質問だ。

つまり、湯の扱い方のことを話しているのだろう。

温泉によっては、湯の温度調節のために水を足すところもある。

ここはやはり、源泉掛け流しと答えるべきだろうか。

いや、しかし社長くらいのハイレベルな温泉マニアには、そんな答えではつまらないだろう。

「僕は……そうですね、濃いのが全てと思っている方もいるかもしれませんが、実はそうではないと思っています。それ以上に、ロケーションや景色が大切だと思っています」

お湯の質も大事だが、露天風呂から見える景色に、心は癒されるのだ。

「なるほど。君はわかっているな」

 

よし。

これも正解だったようだ。

「ところで、冷たいのについてはどう思う?」

「冷たいのですか……」

水風呂は、広い温泉に行けばついていることがあるが、なかなかそんなにスペースに余裕のあるところも少ない。

「冷たいのもいいですが、まずは熱い方のクオリティーを優先してもらいたいですね。夏はいいかもしれませんが、本質はそこではないと思います」

社長は満足そうに頷いた。

今のも正解だったらしい。

これはかなりいい感じだ。

いい感触を感じた僕は、自分から一歩距離を縮めてみることにした。

 

「食前か、食後か、社長はどちらがお好きですか?」

「俺は食前が多いな。君は?」

「僕も食前です。ゆっくり温まってから、朝食をとることが多いです」

ふむふむ、と社長は頷いた。

そして少し迷ってから、こう言うのだった。

「最近俺が注目しているのはな、リンスだ」

 

「リ……リンスですか?」

 

僕は思わず社長の頭に視線をやった。

確実に、リンスなど気にしなくていい髪の量だ。

「そうだ。なんだ君は、リンスがわからんのか?」

「も、もちろんわかりますよ!」

この歳になって、リンスを知らない人などいるはずもない。

「リンスの効果を実感するためにな、一度比べてみたんだよ。リンスをした場合と、しなかった場合」

 

「……はい」

 

一体このおっさんは何を言っているのだろうか。

もしかして、自分でも髪の毛のことを気にしているのだろうか。

「試したことがないだろう? リンスをしないと、かなり匂いが違うんだよ」

僕はただ、何も言わずに頷いた。

なんと言うのが正解なのかわからなかった。

「ん? さては君、リンスの意味がわかっていないだろう? リンスというのはな、湯通しのことなんだ。コーヒーを抽出する前に、一度フィルターに湯を通しておくと、紙の匂いがコーヒーに移りにくくなるんだ」

「髪の匂いですか……?」

「紙にも匂いがあるんだよ」

 

やばい。

 

コーヒーとは一体なんのことだろうか。

僕は社長が見ていた雑誌に目をやった。

間違いない、温泉のページだ。

いや、しかしよく見ると、反対のページには[厳選! 本物のコーヒーを出す店!]と書かれてある。

「ちょっと待て。君はさっきから何の話をしている?」

「あ……あの、そんなに深入りされると困ってしまいます」

「深煎りだと? やはりコーヒーの話か?」

「いえ、えっと……」

どうやら、僕は温泉の話を、そして社長はずっとコーヒーの話をしていたらしい。

社長はスッと、雑誌のページに目をやった。そして、合点がいったようにこちらを見た。

「君はリンスの話をしている時に、俺の頭をちらちら見ていたが、まさか温泉の話を……?」

 

 

 

ここから巻き返す手段は、僕には到底思いつきそうもない。

河邉徹

河邉徹

WEAVERのドラマーで小説家。お風呂は一日に何度も浸かる派です。 おふろ部では、お風呂の魅力が伝わるような物語を書いていけたらと思っています!

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