「感謝の気持ち」
土曜日の夜、僕は久しぶりに実家の風呂に浸かっていた。
久しぶりの実家だが、家の中には自分以外に誰もいない。両親はこの週末の三連休を利用して、旅行に出かけてしまった。僕は留守を頼まれたのだ。飼っている熱帯魚に餌をやってくれと。
身勝手な話だが、そのくらいしてもいいかと思った。自分を育ててくれた両親に、ささやかだが恩返しになる。どうせどこかに出かける予定もなかったのだ。
見慣れた家の景色は何も変わっていない。この風呂もそうだ。湯船に浸かると、目の前には乳白色の壁がある。その壁を見て、僕はふと懐かしいことを思い出した。
子どもだった頃、実家では大抵父が最初に風呂に入った。しかしたまに、父が仕事で遅くなった時は、僕が先に入ることもあった。
風呂の湯船に浸かっている時に、僕は目の前の壁に、水滴が流れて落ちていくのを見つけた。湯気で水蒸気がついた壁を、水滴は線を描きながら流れていく。
僕が壁を指でなぞってみると、同じように薄らと線が壁に残った。子どもだった僕はその発見が楽しくて、壁に絵を描いたり文字を書いたりして遊ぶことを始めた。最後にお湯をかければ、書いたものは全て消すことができる。
ある日僕は、これを使えばこの後風呂に入る父に、普段言えない感謝の気持ちも伝えられるのではないかと思った。僕は濡れた風呂の壁を、指でなぞっていく。
「おとうさん、いつもありがとう」
その言葉を見た父から、どんな反応があるだろうかと思っていたが、その日父からは何のリアクションもなかった。そもそも湯船に浸かっても壁など見ないのかもしれないし、薄い文字なので気がつかなかったのかもしれない。書いた文字は水滴が流れて、形が崩れて読みにくくなる。
それでも僕はそれからも、自分が先に風呂に入る時には、何度か壁に文字を書いていた。
しばらくした頃に、ある日僕が風呂に浸かっていると、ふと壁に文字があることに気がついた。
「こちらこそ、いつもありがとう」
と壁に書かれていた。その日は父が先に風呂に入っていた。もしかしたら、ついに僕が文字を書いていたことに気がついて、返事をくれたのかもしれない。
風呂から出ても、無粋な気がして父とそのことについて話さなかった。だけどそれから、風呂の壁を通じて、何度か感謝の言葉の交換は続いた。
僕はそんな子どもの頃の懐かしい記憶を思い出しながら、壁を指でなぞった。そして「おとうさん、いつもありがとう」と、あの頃と同じ感謝の言葉を書いた。
次の日の夜、両親から連絡があって、渋滞で家に着くのは遅くなるということだった。僕は先に風呂に入っておくことにした。
僕が風呂に入っていると、不可解なことに気がついた。なんと壁に、新しい文字が書かれていたのだ。
「こちらこそ、いつもありがとう」
僕は戸惑った。誰かが、昨日の僕の言葉に返事をしてくれていた。
不可解だが、不思議と嫌な気持ちはしなかった。感謝の言葉のやりとりだからだろうか。
この家には誰もいない。それなら、僕は誰と会話をしているのか。
「おとうさん、いつもありがとう」
僕はもう一度そう書いて、ふと思う。それから横に似た言葉を書いてみた。
「おふろさん、いつもありがとう」
確かに少し字面は似ている。特に、水滴が流れて文字が崩れやすいこの壁では。
僕はこれまで、お風呂向かって感謝していると思われていたのだろうか。それで、このお風呂が親切にも返事をしてくれていたのかもしれない。
確かに、いつも体を清潔にし、温めてくれるお風呂には感謝をすべきだ。僕は体を洗ってから、思い立って風呂掃除をすることにした。スポンジでバスタブを擦りながら壁に目をやる。
「おとうさん、いつもありがとう」
「おふろさん、いつもありがとう」
僕はなんとなく微笑ましい気持ちになって、この並んだ二つの言葉は流さずにいようと思った。このあと帰ってくる両親に見てもらおう。
いや、だけど、昔返事をくれていたのが誰だったのかは、知らないままの方がいいのかもしれない。
とにかく僕は、実家の風呂を綺麗にして、お風呂にも、両親にも感謝しようと思った。