おふろ×リラックス

お風呂の神様

2019-12-01

WEAVERのドラマー、そして小説家である河邉徹による、

お風呂をテーマにした不思議で面白いショートショート連載!第7弾!

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「お風呂の神様」

 

 

「美希、まだお風呂入ってるの?」
洗面所から、お母さんの声がした。お湯に浸かったまま、浴室の扉の方を見る。扉にお母さんの影が映っていた。
「入ってるよ」
私は返事をした。
「今日も長湯ね。寝てるんじゃないかと思った」
「起きてるよ」
「昔は、あんなにお風呂嫌いだったのにね」
「だからそれ、いつの話なのよ」
お母さんはよくその話をする。そんな幼い頃のことを、私はよく覚えていない。今の私はお風呂が大好きだ。高校の部活で遅くなって帰ってきても、しっかり長湯する。
洗面所で、洗濯機の電源がつく音がした。お母さんは今から洗濯機を回すらしい。洗剤が入っている棚の扉を、パタパタと開閉させる音がする。
「そうだ。今度ね、おばあちゃんの家、取り壊すことになったの」
「え、なんで? 急にどしたの」
「急じゃないよ、結構前から話してた。もう古くなったから、新しい家建てるんだって」
「……そうなんだ」
おばあちゃん家。おばあちゃんはおじいちゃんと二人で暮らしている。小さい頃はたまに遊びに行ってた。夏休みはいとこの早希ちゃんも一緒に来たりして、たくさん一緒に遊んだ。思えばあの頃から、結構古い家だった気がする。木造の、二階建ての一軒家。
「美希も、見に行く?」
「何を?」
私は思わず訊き返した。
「だから、取り壊されるところ」
「それって見に行くようなものなの?」
「どうだろ? でも、最後だし。あ、お風呂終わったらお湯置いといてくれる?」
「うん。それはいいけど……」
新しい家ができたから、見に行くのはわかる。でも、取り壊されるのって、わざわざ見に行くようなものなのかな。
「まぁ、美希が行かないなら一人で行ってくるけど」
「……いや、行こっかな。最後だから」
その時、どうして私がそう言ったのか、自分でもよくわからなかった。

解体工事は数日かかるそうだ。お母さんは、家が崩されるところを見届けたいらしくて、私たちはその日に行くことになった。新しい家が建つまで、おじいちゃんとおばあちゃんは一時的に早希ちゃんの家で暮らすらしく、引越しもちゃんと済んだらしい。
行きたいと言っていたのはお母さんなのに、当日になると「最後だけ見れたらいいかな」なんて言い出して、おばあちゃんの家の前に着くと、もうすでに解体作業は始まっていた。
想像していたより、一回り小さな重機が庭に来ていた。アームの先端にペンチみたいなものが付いている。そのペンチが柱を掴んだり天井を剥ぎ取ったりして、大胆に家を崩していく。ベリベリ、と大きな音が辺りに鳴り響いた。
「おー、すごい迫力」
お母さんは呑気な声を出した。確かに、工事現場の横は通ったことがあるけれど、こんなにまじまじと見たことはない。家が痛そうだな、と思った。砂が舞わないように、すぐ側で水を撒いている人もいる。
「あそこの部屋で寝たの覚えてる?」
「うん」
壁が崩されると、部屋の中まで見える。幼い頃にのぼった階段や部屋。なんだか懐かしくなって、それがなくなっていくのが寂しかった。
私がそう思うということは、そこで育ったお母さんはもっと寂しいに違いなかった。お母さんの方を見ると、少しだけ悲しそうな表情をしている。
「そういえば、美希がよくお風呂に入るようになったのも、おばあちゃん家に泊まった時からだったかも」
「そうだっけ?」
「家のお風呂より、古かったのにね」
あの壁の向こうにお風呂がある。重機のアームがそちらを向いた。もうすぐそこも崩れさてしまうだろう。見ていると急に、私の当時の記憶が蘇ってきた。
誰にも話していない記憶。不思議な記憶。
私があのお風呂で、小さな神様と出会った話。

私は六歳になったばかりだった。
夏休み、お母さんと一緒におばあちゃんの家で何日か泊まった。
おばあちゃん家は古かったから、普段しない匂いがした。木のにおいや、土のにおい。生乾きのにおいや、ちょっと酸っぱいにおい。
いとこの早希ちゃんが来る予定だったのだけど、夏風邪をひいたらしくて来れなくなった。だから私には遊び相手がいなかった。一人で遊ぶしかなかった私は、昼間に家中を探検した。流行っていた忍者漫画の主人公の真似をして、部屋中を駆け回ったり、屋根裏に忍び込んだり、窓に身を乗り出したりした。
想像の中で私は敵に追い詰められて、慌てて二階から飛び降りようと、部屋の窓を勢いよく開けた。すると、バンッ、という大きな音が下の庭からした。下を覗くと、網戸が庭に落ちていた。私が力強く開けたせいで、窓枠から外れて落ちてしまったのだった。
音を聞いて、お母さんがすぐに庭に飛び出してきた。
「美希! 何してるの!」
下からお母さんは私を怒鳴りつけた。私は取り返しのつかないことをしてしまったと思った。落ちた網戸は運悪く木の枝に当たって、網が破れてしまっていた。

叱られた私は、それからずっと大人しくしていた。一人で暇だけど、じっとしていなければいけない。そうやって、少しでもお母さんに反省の態度を見せないといけないと思った。
部屋でじっとしていると暑かった。私はちょっとでも涼しい場所に行きたくて、お風呂場を思いついた。
一階の奥にあるお風呂場。あそこなら暑さも少しマシかもしれない。
私はすぐにお風呂場に向かい、中を覗いた。すると、浴槽の上を小さな青い何かが動いているのが見えた。なんだろうと思ってじっと見てみると、それは小さな人の形をしていた。
青い帽子、西洋の王子様みたいな格好。ちょうど絵本の中のピーターパンが、青い服を着ているみたい。そして背中には、小さな羽が生えていた。
彼はこちらに気づかないで、浴槽の縁に立って天井を眺めている。
「何してるの?」
私が話しかけると、彼は驚いてこちらを見た。
「わっ、驚いた。なんでこんなところにいるんだよう。まだお昼なのに」
喋ったことに、私も驚いた。彼は慌てて身を隠そうとしたが、隠れられるようなところはない。
「お風呂は、昼に来ちゃいけないの?」
「お風呂は、朝か夜に入るものなんだよう」
ちょっと怒ったように、彼は言った。
「そうなの? ごめんね」
「あれ……君は誰だい? 見ない顔だね」
「私は美希よ」
「おばあちゃんの孫?」
「うんそう、孫」
孫、という言葉は最近覚えたばかりだった。
「ああ、遊びに来てるんだね」
「そう。あなたは?」
「僕は、お風呂の神様だよ」
彼は言いながら腰に手を置いて、誇らしげな顔をした。

「神様? 神様ってこんなに小さいの?」
「大きさなんて関係ないだろう」
神様は少し拗ねたように言った。
「神様がこんなところで何してるの?」
「お風呂を守ってるんだよ」
「お風呂を? 何から守るの?」
「何からだって? もう、何も知らないで呑気なものだなぁ。人はみんな、お風呂に入る前に何をすると思う?」
「うーん、服を脱ぐ?」
「その通り。みんな守るものがないんだよう。だから、僕ら神様がいないと大変なことになるんだ。水の溜まる場所は、色んなものを呼び寄せてしまうから」
少し大人びた様子で、彼は言った。
「色んなもの?」
「君たち人間には見えないものが、たくさんあるんだよう」
「……神様とか?」
「そうだね」
「今見えてるよ」
「今はたまたまだよう」
彼はまた、少し機嫌を損ねたように言った。
「普通、こんな時間にお風呂に人は来ないんだ。来ちゃった君が悪い。それに君は、あまりお風呂が好きじゃないでしょ?」
「え、そんなことがわかるの?」
「わかるよ。神様だからね」
私はびっくりした。実際に、お風呂に入るのはあまり好きじゃなかった。いつもお母さんに、もっと長く浸かりなさいと怒られる。だけどお湯に浸かるのなんて、なんの意味があるのかわからない。体だって、毎日そんなに汚れないと思うし。
「そうだ、せっかくだからお願いがあるんだ」
「なあに?」
「今から、このお風呂を掃除してくれないかい?」
「えー、いやだ」
「そんなこと言わずに。してくれたら、いいことが起こるようにしてあげるから」
「……いいこと?」
「きっと君が助かることだよう。ここのおばあちゃんはいつも綺麗にしてくれてるけど、浴槽の角は洗い残しがあるんだ。お願いしていいかい?」
「……わかったわ」
それから私は彼の指示通り、お風呂の掃除を始めた。お風呂を掃除するなんて、初めてのことだった。
洗っている間に、彼はお風呂に関するいろんなことを教えてくれた。
お風呂にちゃんと入らないと、お風呂にも嫌われてしまうこと。お風呂を綺麗にしないと、神様の力がいき届かないこと。お風呂ごとにそれぞれ違う神様がいて、担当があること。そして、本来人がいる時に神様は姿を見せないこと。
泡だった浴槽を、私が最後にシャワーで流すと、お風呂は見違えるくらいにピカピカになった。そして彼は、満足そうに頷いた。
「これで、今日このお風呂に入ると、みんなの心までピカピカになるよ」
「そうなの?」
「うん。いいお風呂は体だけじゃなくて、心も綺麗にするんだ。綺麗なお風呂に長く浸かると、心が美しくなるんだよう。君の家も、ちゃんとお風呂を綺麗にしないといけないよ」
そう言って彼は、青い帽子を外して胸に抱いた。
「僕のお風呂を綺麗にしてくれてありがとう。またどこかで会おうね」
ぺこりとお辞儀をして、彼の姿は消えた。私は辺りを見渡したが、どこにも彼を見つけることができなかった。
その夜、お母さんと一緒にお風呂に入った。綺麗になったお風呂。私がピカピカにしたお風呂。お母さんはもう怒っていなかった。私もなんだか、気持ちが少し楽になっていた。お風呂の神様の力かもしれないと思った。
そしてそれきり、お風呂の神様を見かけることはなかった。

大きな音を立てながら、重機が家を取り壊していく。お風呂場も、瓦礫の中に崩れていった。
「美希、そろそろ行こっか」
お母さんが言った。悲しそうだった表情が、今はどこかスッキリしているように見えた。家に背を向けて、私たちは歩いていく。
「昔、美希があのお風呂の掃除してくれたことあったよね?」
「え、知ってたの?」
「うん。もう忘れたけど、多分その前に美希が何か悪いことしたんだよね。でも、お風呂を綺麗に掃除してくれて、可愛いところあるねって、おばあちゃんと話したことあった気がする」
「そうなんだ」
もしかすると、反省してお風呂を掃除したと思われていたのかもしれない。そして、結果的にそれで許されたのかも。
いや、実際にそうだったのかもしれない。
お風呂の神様は忍者ごっこの敵と同じで、幼い私がお風呂掃除をしながら考え出した、ただの空想だったのかも。
「美希、今度は新しい家が建てられてるところ、見に来ようね」
「できてからじゃなくて?」
「うん。途中だって、なかなか見ることないでしょ? おばあちゃん、新しい家はお風呂広くするんだって。お風呂が好きだから」
「そうなんだ」
言いながら、私はふと家の方を振り返った。砂埃と撒かれた水に光が当たって、空気がキラキラして見えた。
「あっ」
「何?」
「……なんでもない」
空に舞う、小さな青い帽子が見えた気がした。

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河邉徹

WEAVERのドラマーで小説家。お風呂は一日に何度も浸かる派です。 おふろ部では、お風呂の魅力が伝わるような物語を書いていけたらと思っています!

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